公開日 2015年2月22日
最終更新日 2021年8月1日
県指定史跡
道ノ上古墳
下赤嶺下区の台地先端上に所在する前方後円墳で、全長約74mと県南最大規模を誇る。前方部長28m、後円部径48m、同高さ6mで、後円部頂上に社殿跡があるが、主体部は不明である。墳丘上は葺石に覆われており、円筒埴輪や壺形埴輪の破片も出土している。古墳時代中期の5世紀初頭頃の築造年代と推定されている。
所在地:三重町赤嶺799ほか
指定年月日:昭和47年3月21日
大塚古墳
上小坂区公民館裏の台地上に所在する前方後円墳である。全長約43mで、後円部径27m、前方部長16mで、後円部に比べ前方部が低く短いのが特徴である。確認調査で墳丘上には葺石があり、周溝が墳丘に沿って設けられている。東側に小型の塚が接しているが後世のものである。後円部頂上の石塔類も後世のもので、主体部については伝承はなく遺物も知られていない。古墳時代前期の築造と推定されている。
所在地:三重町小坂3414ほか
指定年月日:昭和47年3月21日
重政古墳
三重中学校敷地内の通称重政原と呼ばれる台地に所在する前方後円墳である。全長は約52mを測るが、後円部の一部に掘削による改変がみられるため、当初は54m程と考えられる。後円部径は30m、前方部長は24mである。発掘調査で墳丘上には角礫に近い川原石の葺石に覆われ、二段築成の構造であることが確認されている。主体部については不明であるが、出土した壺形埴輪により築造年代は古墳時代中期の5世紀初頭と推定されている。
所在地:三重町内田1072ほか
指定年月日:昭和48年3月20日
立野古墳
上田原立野地区に所在する前方後円墳で、全長約65mの市内第2位の規模である。前方部26.5m、後円部38.5mである。墳丘南側を削平で失われているが、北側は保存はよく、馬蹄形の周溝及び前方部西側の陸橋部が確認できる。後円部墳頂部に盗掘跡らしい窪みがあるが、主体部は不明である。墳丘より壺形埴輪や円筒埴輪等が出土しており、古墳時代前期の4世紀末の築造と推定されている。
所在地:三重町上田原444-1ほか
指定年月日:平成4年3月27日
秋葉鬼塚古墳
鬼塚区の通称竜王山と呼ばれる台地上に所在する前方後円墳である。前方部及び後円部ともに削平が著しいが、全長は本来52m程度の規模であったと考えられる。確認調査により墳丘上には葺石が数多くみられ、周囲には周溝の存在が確認されている。出土遺物として壺形埴輪があり、5世紀初め頃と推定されている。主体部については不明である。
所在地:三重町秋葉851ほか
指定年月日:平成6年3月25日
竜ヶ鼻古墳
大原台地の南西端上のつつじ公園の隣に位置する前方後円墳である。墳形はかなり改変されているが、全長約35m、後円部径18m、前方部長さ17mを測る。後円部頂上に盗掘跡と思われる窪みがあるが、主体部については何も伝えられていない。遺物として円筒埴輪が出土しており、古墳時代中期の5世紀後半頃の築造年代が推定されている。また、南側崖下には古墳時代後期の横穴墓群もあり、古墳時代の墓域として重要な遺跡である。
所在地:三重町赤嶺2621-1
指定年月日:平成14年3月29日
普光寺磨崖仏
上尾塚にある普光寺に所在する。普光寺は鎌倉時代前期に筑紫尾寺として創建されたものであり、その当時の造顕と推定される。磨崖仏は巨壁面に刻まれた不動三尊仏で、主尊である不動明王像は像高11mあまりで、その規模は県下最大級を誇る。不動明王像の右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、左に制多迦童子(せいたかどうじ)を配する。
所在地:朝地町上尾塚1219
指定年月日:昭和32年3月26日
蝙蝠滝舟路跡
明治5(1872)年に大野川を浚渫(しゅんせつ)し、竹田犬飼間を結ぶ舟路開削工事が開始された。高低差が約10mもある難所であった蝙蝠の滝を迂回する舟路として同8年に竣工した。岩盤を幅3m程の水路状に掘削し、下流側は石垣を組み木樋を設けて舟を滑り下らせる特殊な構造であったという。明治14年頃までの短期間の使用であった。
所在地:朝地町上尾塚
指定年月日:平成9年3月25日
坊ノ原古墳
桑原区羽部の山頂にある前方後円墳。通称「ひょうたん塚」と呼ばれ、前方部が細く低い墳形で全長は45mを測る。主体部は盗掘跡があり、前方部にある石材は主体部の箱式石棺材の一部とみられる。確認調査で周溝が確認されており、出土した土器などから古墳時代前期の4世紀後半の築造と考えられている。
所在地:大野町桑原500
指定年月日:昭和51年3月30日
五輪塔群
犬飼石仏の周辺にある五輪塔群。石仏の向かって右側には、16の小龕(しょうがん)を穿った中に、高さ30cm前後の一石五輪塔が安置されている。石仏と同じく鎌倉時代の作と考えられている。また、石仏の左側には多くの石塔群があり、なかでも吉弘一曇の菩提を弔うために造立された永徳2(1382)年在銘の五輪塔は、完形を保ち保存状態は良好である。
所在地:犬飼町田原
指定年月日:昭和42年3月31日
井上主水左衛門並古・並増墓所
近地区の竹田市境に近い山中に建立された墓所で、石垣上に井上並古・並増親子の儒式墓二基とその間に亀趺碑一基、周囲には灯篭群がある。被葬者の井上並古(有淵)は岡藩主中川久貞に仕えた家老で、儒教に則り篤実な政務に功績があった人物で、久貞と同じ形式の墓石である。亀趺碑には表、裏に並古の業績をたたえる顕彰文が刻み込まれ、表は唐世齋(唐橋君山)、裏面は石上嵩振(牧嵩振)による選文と記されている。文政8(1825)年に、父と同じく一代家老となった並増により造営された墓所である。
所在地:朝地町朝地137
指定年月日:平成24年3月13日