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市指定史跡

公開日 2015年2月22日

最終更新日 2021年8月1日

史跡

     下赤嶺キリシタン墓群

下赤嶺下区墓地にある凝灰岩製の薄型伏墓で、上面の一隅にギリシア式十字架を薬研彫りしてある。十字架のないのも多数あ下赤キリシタン墓り、併せて88基が数えられる。これらの墓石は周辺の墓地内に散在していたが、散逸・埋没を防ぐため現在地に墓石の移転を行っている。戦国時代の永禄12年(1569)に井田(千歳村)と三重で170名がキリシタン洗礼を受けた記録があり、主要墓石は慶長19年(1614)キリシタン禁教令発布までに造立され、無印の墓石はそれ以後と推定されている。当区の古老たちの間では、祖先が密かにキリスト教を信仰していたと伝承している。

所在地:三重町赤嶺(垣内)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和38年7月30日三重町指定)

    六字名号

六字名号

宇対瀬区の南側の岸壁に菅尾石仏と向い合うように「南無阿弥陀仏」と刻まれている。縦12mにもおよぶ雄渾な文字で、最下部の「仏」字の線だけでも幅40cm、深さ30cmもあり人が入れるほどである。この六字名号は宝暦3年(1753)年に工事をはじめ、翌4年に完成したもので、書は白鹿山妙覚寺(千歳村)の住職黙主座の筆跡でこれを彫刻したのは岡領三宅(竹田市)の石工庄右衛門・文兵衛であることが左側の添書きで知ることができる。

所在地:三重町浅瀬(岩屋迫)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和46年7月31日三重町指定)

    磨崖クルス

磨崖クルス

国道326号線の宮尾入口付近から大野川に面した斜面を下った山中の岸壁に二つの磨崖クルスが刻まれている。クルスは縦40cm、横20cm、深さ3cmのものと、縦20cm、横16cm、深さ4cmのものがあり両方とも薬研彫りである。この場所は一方は断崖で、また一方は森林に囲まれ、川からも道路からも目立たない場所であるため、江戸時代初期のかくれキリシタンの礼拝所であったと推定される。

所在地:三重町宮野(敷手)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和46年7月31日三重町指定)

    下津留墓碑群

下津留墓碑群

上田原区の下津留集落前の山林内にやや小型の宝塔20基、板碑23基が群在している。宝塔は簡略化した形態で総高はほとんど1m未満である。板碑は総高170cmもの大型のもの、2つ合体した連碑形のもの等がある。銘文より室町時代の天文13年(1544)から江戸時代初期の寛永15年(1638)まで続く墓碑群であることが分かる

所在地:三重町上田原(野中)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和46年7月31日三重町指定)

    三国峠

三国峠

奥畑区の本匠村との境に標高約600mの峠道があり、名称の由来は旧臼杵・岡・佐伯の三藩の境界であったためといわれている。ここは近世以前の日向街道沿いで、戦国時代の豊薩の役及び明治の西南戦争の戦跡でもあり、特に西南戦争で薩摩軍の構築した陣地遺構が尾根上に点在している。明治10年(1877)6月17日に政府軍の総攻撃により立てこもっていた薩摩軍は敗走し、この時に戦死した薩摩軍兵士を祭る三国神社や、隊長で旧飫肥藩士山田宗賢の墓碑がある。また、旧国道沿いにある財部海軍大将の石碑や、田吹繁子の歌碑などが当時を偲ばせている。

所在地:三重町奥畑(花立)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月30日三重町指定)

   大辻山

大辻山

森迫区と上田原区の境にある標高249mの大辻山山頂に所在し、15基の塚と22基の石塔がある。塔の種類は板碑・単制石幢・角塔婆などであるが平面が三角・四角・五角・六角・八角の多様な形式で造られている。銘文から文禄5年(1596)~慶長8年(1603)に森迫回春庵の文叔座元正周により造立されていることがわかる。塚との関連は不明だが、この時代の信仰を表す貴重な史跡である。

所在地:三重町井迫(大辻ほか)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月30日三重町指定)

   松尾城跡

松尾城

松尾区の通称城山と呼ばれる標高276m、麓より約160mの独立状の山岳にある。築城時期は不明であるが、戦国時代の天正14年(1586)10月、薩摩(鹿児島県)より島津家久が入城し、翌15年3月に退却するまで豊後侵攻の拠点として大分や臼杵・佐伯方面で大友氏と戦闘を行っている。山頂は見張り番屋が作られていたとみられ、崖や切岸に囲まれ、一部石積みが確認できる。北側斜面に階段状の平場が造られてあり、主要部分は麓の広福寺(現吉祥寺)を利用したと考えられている。

所在地:三重町松尾(城山)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成元年5月19日三重町指定)

    森迫回春庵墓地

回春庵

森迫区の回春庵跡の上にあり、室町時代の永享6年(1434)~江戸時代の元禄2年(1689)までの約250年間にわたる石塔類48基が確認できる。銘文により地元の中世豪族森迫氏及び回春庵寺僧の墓碑であり、宝篋印塔や宝塔など各種形式の石塔が確認できる。森迫氏は、戦国大名大友氏の家臣として三重郷を支配しており、回春庵は森迫氏の菩提寺であったと推定されている。

所在地:三重町井迫(回春)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成元年5月19日三重町指定)

   下津留古墳群1号墳

下津留古墳群

上田原区下津留集落に所在する古墳群で、そのうちの西端が1号墳である。墳頂に凝灰岩製の箱形石棺が露出しており、長さ約3m、幅約1mで棺身及び蓋に溝を彫るなどの加工がみられる。下津留古墳群について開発による削平により墳形は不明で、石棺材が3箇所で確認でき、5基程度の小古墳群であったものと推定される。遺物は知られてなく実態は明確でないが、古墳時代の中期の5世紀頃と推定される。

所在地:三重町上田原(下津留)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成4年6月26日三重町指定)

   智福寺跡

智福寺跡

宇対瀬区にある寺院跡で、開基は不明である。江戸時代始め頃には廃寺になっていたが現在は不動堂のみ残されている。堂内には不動明王像(室町時代頃作)や銅製鰐口(宝永2年、1705年作)等がある。周囲には室町から江戸時代の石塔類20基ほどが残っている。また奥には33基の観音像、地蔵尊や十王像が並べられており、現在も霊場として参詣されている。その景観は古刹としての形態を保っている。

所在地:三重町浅瀬(岩屋迫)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(平成7年11月28日三重町指定)

    国見岩の墓

国見岩墓

県道清川宇目線沿いの杉林に所在する。国見岩文五郎(1794?-1846)は岡藩のお抱え力士として活躍した人物。

所在地:清川町宇田枝(天神久保)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和54年10月1日清川村指定)

    近郷キリシタン墓

近郷キリシタン

市道脇に所在し、蒲鉾形4基、伏墓2基の墓石でかくれキリシタンの墓とされている。

所在地:清川町大白谷(近郷)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和54年10月1日清川村指定)

   伏野キリシタン墓

伏野キリシタン墓

伏野区墓地内に所在し、伏墓が約20基ほどあり、かくれキリシタンの墓とされている。

所在地:清川町伏野
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和54年10月1日清川村指定)

    長迫横穴古墳群

長迫横穴墓

長迫集落の宅地裏の崖面に掘り込まれている横穴墓群。古墳時代後期の有力者の墳墓で、3基が確認できる。須恵器の出土が伝えられている。

所在地:清川町砂田(長迫)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和54年10月1日清川村指定)

    中尾石塔群

中尾

中尾地区の裏山に宝塔10基・五輪塔13基・板碑1基などが散在する。宝塔1基に慶長19年(1614)年の銘があり、17世紀頃の宗福寺に関する墓石群と考えられている。

所在地:清川町雨堤
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和54年10月1日清川村指定)

   石源寺石仏

石源寺石仏

石原地区の巨石の3面に掘り出された磨崖仏で、東面に像高74cmの薬師如来坐像、南面に像高95cmの不動明王を主尊とする不動三尊像、西面に像高76cmの阿弥陀如来坐像がある。なお、東西の隅にも75cmの釈迦如来坐像があり亀裂が入っている。雨除けの石柱に宝暦12年の銘があるが、仏像の様式から室町後期の作と考えられる。

所在地:清川町六種
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和54年10月1日清川村指定)

    大平石塔群

柿ノ木原より奥嶽川を見下ろす岩陰にあり、石造宝塔や五輪塔など8基程所在する。宝塔の塔身は角柱状のものもある。2基に銘があり、1基は慶長15年(1610)、もう1基は寛文13年(1673)で、江戸初期の供養塔と考えられる。

所在地:清川町臼尾(柿木)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

    柏野不動明王磨崖仏

柏野磨崖仏

柏野地区の市道上の山林に所在する磨崖仏である。像高1.13mの不動明王立像で、江戸時代中期の作と考えられている。

所在地:清川町平石(柏野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

    中の原古墳

中ノ原古墳

中の原区と佐草区の境界の台地上に所在する円墳で、径20m、高さ5mほどの規模である。頂部に盗掘跡らしい窪みがあるが、遺物など詳細は知られていない。古墳時代前・中期ころの奥嶽川流域を支配した豪族の墳墓と考えられる。

所在地:清川町三玉(中の原)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

    観音堂石仏群

観音堂石仏群

下辻区の観音堂脇に所在する。径10m程の塚に、高さ1m程の石造の馬頭観音・十一面観音があり、江戸時代前期の作と考えられている。周囲には地蔵像や石塔などが点在する。

所在地:清川町臼尾(下辻)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

  岩戸一里塚

岩戸一里塚

柿ノ木原に所在し、岡城と臼杵城を結ぶ街道の一里塚で、岡城から4里目の標識として設けられている。径4m、高さ1.5mの盛土のみの構造である。元禄時代の絵図に記載されているため江戸時代初期に設置されたと考えられる。

所在地:清川町臼尾(岩戸)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

   天神一里塚

天神地区に所在し、岡城と臼杵城を結ぶ街道の一里塚で、岡城から3里目の標識として設けられている。径5m、高さ2.5mの盛土に石塔の台座があるが塔は失われている。江戸時代初期に設置されたと考えられる。

所在地:所在地:清川町天神
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

   宇田姫社

宇田社

宇田地区に所在し、祭神の華ノ本姫は嫗嶽伝説により語り継がれ、豊後大神氏発生に関わる由緒ある神社として信仰されている。

所在地:清川町三玉(宇田)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

   萩塚様

萩塚様

宇田地区に所在し、嫗嶽伝説により語り継がれる華ノ本姫の産所跡といわれている。豊後大神氏の祖大神惟基の生誕地として、現在も安産祈願の信仰がある。

所在地:清川町三玉(宇田)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

    宝生寺

宇田枝の臨済宗妙心寺派の寺院である。「豊後国志」では大友十四代親隆公が宝徳2年(1450)に御嶽神社の別当寺として創建し、明室禅師が開山したとされている。境内の石造物にそれより古い紀年銘を持つものもあることから南北朝以前には存在していたと考えられる。現在は紅葉の名所として知られている。

所在地:清川町宇田枝
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

   古田兵作の墓と古田家墓地

古田家墓地

木南切地区の県道下に所在する墓地で、古田兵作は家業の酒造業のほか、農業の研究調査や指導普及に努めた明治初期の人物である。また、孫の古田年生は教育者として知られた人物である。

所在地:清川町平石
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成7年10月1日清川村指定)

   古庄梅谷の墓と古庄家墓地

宝生寺裏山の山林に所在する墓地で、古庄家は代々医業を業としており、玄隆(梅谷)は文政年間藩校由学館の医官として活躍した。また詩文・書画にも優れた才能があった。梅谷の子虎彩も書の道に秀で、能書家として知られている。

所在地:清川町宇田枝
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(平成7年10月1日清川村指定)

    軸丸磨崖不動尊

軸丸磨崖

軸丸区田向より林道奥に所在する磨崖仏で、凝灰岩の崖面に4m四方の仏龕に像高約2mの不動明王坐像が彫りだされている。磨滅や剥落が著しく、特に顔面や右腕など欠失部分が多いが、14世紀頃造顕の作風と推測される。

所在地:緒方町軸丸
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    小宛焼窯跡

小宛焼窯跡

小宛焼は岡藩の生産方奉行と小宛組大庄屋によって始められ、文久3年(1863)より明治7年(1874)まで創業していたことが知られている。これまで工事等で出土する遺物から寺原区に窯跡の所在が推定されている。出土遺物の中には磁器のほか擂鉢・甕・急須等の陶器や窯道具などがあり、日用雑器も多くつくられていることがわかる。

所在地:緒方町寺原
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    緒方三郎惟栄館跡

緒方惟栄館跡

上自在字城に所在し、古くから緒方惟栄の館跡と伝えられていることが「豊後国志」にも記述されている。軸丸川と緒方川の合流点付近の天然の要害であるが、城館跡の遺構は見つかっていない。緒方惟栄は平安時代末期の豊後武士団である大神一族の頭領として活躍、源氏に協力して平家追討に貢献した。

所在地:緒方町上自在340
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   大石遺跡

大石遺跡

大石区に所在する縄文時代晩期の遺跡である。昭和36年より数次にわたる発掘調査が行われ、粗製の深鉢や精製浅鉢などの土器類、扁平打製石斧や石包丁形の石器などが数多く出土した。これまでの狩猟的要素とは異なる文化として、縄文晩期農耕論として提唱される画期となった遺跡である。

所在地:緒方町大石
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    保全寺跡

保全寺跡

所在地:緒方町小宛
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

  上冬原キリシタン墓

所在地:緒方町上冬原
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

  小野キリシタン墓

所在地:緒方町鮒川
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    高尾城跡

緒方中学校裏山の山頂に所在する中世山城で、天正14年(1586)豊薩戦争の古戦場である。「大友興廃記」によると、堀中務・阿南但馬守ら緒方庄の武士団が島津軍を迎え討つために立て籠もり、激戦の末全員討ち死にしたという。城跡に残る土塁・曲輪・縦堀群などは規模が大きく、緒方町域では中心的な城郭であったと推定される。

所在地:緒方町軸丸
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    柏野城跡

天正14(1586)年豊薩戦争の際、軸丸蔵人・大善ら200名の兵が立て籠もったという。現在は水田造成により城跡は確認できない。

所在地:緒方町軸丸
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    小牧城跡

小牧城

野尻区の大野川と緒方川が合流する地点の丘陵に位置する中世山城で、天正14(1586)年豊薩戦争の際、緒方・耳忍の武士団が島津軍を迎え討つために立て籠もったという。城跡には土塁や堀切、曲輪など当時の城郭の面影を残している。

所在地:緒方町野尻
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   烏嶽城跡

烏嶽城

中野区と小原区境の烏嶽山頂に所在する中世山城である。天正14年(1586)豊薩戦争の際、城主堀相模守は島津軍を迎え討つために立て籠もったが激戦の末落城したという。城跡には大岩を利用した天険な地勢を利用して築かれ、土塁や曲輪など当時の城郭の面影を残している。

所在地:緒方町小原
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    徳丸城跡

徳丸城

小野地区の緒方盆地を見下ろす眺望のよい丘陵上であるが、城跡としての遺構はみられない。

所在地:緒方町鮒川
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

  荒平城跡

久土地区の南方山頂に所在する中世山城で、別名久尾城ともいう。一部消滅しているが、切岸をめぐらす曲輪が残っている。

所在地:緒方町久土知
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   城山

城山

越生の通称「鶴ヶ城」とも呼ばれる中世山城で、天正14(1586)年豊薩戦争の際、多田和泉守らが島津軍を迎え討つために立て籠もったという。城跡には墓地による改変を受けているが、二つに分かれた尾根上に曲輪や土塁が残っている。なお漆生古墳群の城山古墳も城郭に利用されていたとみられている。

所在地:緒方町越生
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   中川久豊塔ほか

中川久豊塔

小富士山の北方の保全寺山に所在する墓所で、被葬者の中川久豊は岡藩の家老として4代藩主久恒に仕えた人物で、宝永3年(1706)に死去。隣接して子の久虎の墓石もあり、いずれも儒式墓と呼ばれる形式の墓石で、墓碑の刻銘により、親子二人とも優秀な家老であったことが偲ばれる。近くの山頂にある久照の墓所も、やはり儒式墓の形式で造営されている。

所在地:緒方町寺原
指定年月日 : 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   漆生古墳群

漆生古墳群

越生区東の丘陵尾根上に立地する4基の古墳群である。大久保1号墳は全長36mの前方後円墳で、唯一葺石に覆われた墳丘である。大久保2号墳は墓地に改変されて墳丘規模・形態は不明であるが舟形石棺が露出している。大久保3号墳は径10m程の円墳で、城山古墳は方形状の墳丘に箱式石棺の棺材が残っている。4世紀後半から5世紀後半にかけて順次築造された墳墓群と推定されている。また、城山古墳下に横穴墓群も所在することから、古墳時代前期から後期にかけての墓域の遺跡でもある。

所在地:緒方町越生966番地ほか
指定年月日: 平成26年3月27日市指定

   大恩寺稲荷遺跡

大恩寺稲荷遺跡

大恩寺境内の岩陰に所在し、縄文時代早期末から前期の遺跡である。昭和38年・39年の発掘調査で土器・石器・骨角器などが出土。集積遺構のほか埋葬遺構も見つかり、8体の人骨も発見されている。

所在地:朝地町板井迫(大恩寺)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和59年3月31日朝地町指定)

    小川野磨崖仏

小川野磨崖仏

小川野地区の山林の崖面に所在する磨崖仏である。五角形に彫窪めて地蔵三尊像が薄彫りされていて、上部に梵字三文字がある。銘文により大永4年(1524)、道西・道由の禅僧二人の作と考えられる。

所在地:朝地町梨小(小川野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成8年4月1日朝地町指定)

   草木遺跡

草木遺跡

朝地支所裏の岩陰に所在し、縄文時代後期の遺跡である。昭和38年・39年の発掘調査で埋葬人骨が2体発見された。

所在地:朝地町坪泉(草木)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和59年11月20日朝地町指定)

   丸山古墳

丸山古墳

上尾塚の宅地脇にあり、径30m程の大型円墳と考えられる。墳丘の一部に葺石と思われる川原石があり、墳頂は盗掘跡らしい窪みがある。近くに所在する石棺蓋の出土地と伝えられている。

所在地:朝地町上尾塚(丸山)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和59年11月20日朝地町指定)

   一万田氏館跡

一万田館

舘区の台地上に所在し、中世一万田氏が館を構えた場所といわれている。一万田氏は大野郷上村地頭に任ぜられた大友家の重臣である。現在は畑となっているが、御屋敷と呼ばれる地名もあり、一部に土塁が残っている。確認調査で堀に囲まれた一片100m四方の広大な敷地に建物を配置していたと推定され、15世紀後半から16世紀後半にかけて存続した、居住する屋敷と城郭を兼ねた館跡と考えられている。

所在地:朝地町池田(舘)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和61年2月22日朝地町指定)

   神角寺北ノ坊跡

神角寺北坊

神角寺の北西山林内に平場や石垣の跡があり、江戸時代まで坊が存在したらしい。周辺には倒壊した宝塔や宝篋印塔などが多量にあるが、紀年銘を有するものが13基存在することが確認されており、14世紀から16世紀にかけての石造物群と推定される。

所在地:朝地町鳥田(神角寺)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和62年2月25日朝地町指定)

    田村遺跡

田村遺跡

田村地区の市万田川沿いの段丘上に分布する遺跡である。昭和32年以降の発掘調査で、縄文時代晩期の甕棺をはじめ、早期と後期の土器群が広範囲に見つかっており、県下でも重要な縄文時代の遺跡である。

所在地:朝地町池田(田村)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成元年3月14日朝地町指定)

   早尾原古墳

早尾原古墳

早尾原地区に所在する径30m程の大型の円墳である。墳丘の一部に葺石らしい円礫がみられる。昭和2年に発掘が行われ、箱式石棺の内部より人骨や土器などの出土が伝えられている。

所在地:朝地町上尾塚(早尾原)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成元年3月14日朝地町指定)

   二本木茶屋場跡

二本木茶屋

大原区の県道脇に所在する茶屋場跡で、岡藩主の参勤交代時の休憩所といわれている。近世岡城から犬飼港へ向かう主要街道沿いでもあり、土塁で囲まれた区画が残っている。平成8年度の発掘調査で井戸跡や一字一石経塚が見つかっている。

所在地:大野町大原
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年11月11日大野町指定)

   常忠寺

常忠寺

常忠寺は中世大友氏や戸次氏との由緒の深い古刹として知られている。境内には中世石造物が数多くあり、境内奥の五輪塔は無銘であるが大友能直の供養塔と伝えられている。ほかに元亀2年(1571)をはじめとする16世紀の銘を持つ戸次一族の供養塔といわれる宝篋印塔群なども所在する。

所在地:大野町藤北
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年5月19日大野町指定)

    岡なまこ墓

岡なまこ墓

岡区の岡山神社参道脇にあり、32基の扁平な伏墓は地元ではなまこ形と呼ばれる墓石である。同一の方位で整然と並ぶところから、江戸時代初期の禁教前のキリシタン墓と考えられる。敷地内には五輪塔や宝篋印塔の石材が散乱しているところから、中世の石造物を破壊してキリスト教式の墓地に改変され、禁教令後もそのまま残されたと考えられる。

所在地:大野町後田(岡)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成2年3月31日大野町指定)

   落ル水磨崖仏

落水磨崖仏

住吉の元公民館跡の上方崖面に彫られた磨崖仏である。像高2.4mの不動明王立像および「南無阿弥陀仏」の名号や梵字が薬研彫されている。隣接する銘文により、明和2年(1765)に造立されたと考えられている。

所在地:大野町大原(住吉)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成2年3月31日大野町指定)

   勝光寺

勝光寺

木原の勝光寺は大友初代能直の菩提寺とも推定される寺院である。宝篋印塔・石幢などの各種石造物のほか、不動尊堂や弁天堂などがある。宝篋印塔の1基は総高1.05m、明徳3年(1392)の銘がある。石幢は総高2.09m、延徳3年(1491)の銘がある。

所在地:大野町藤北(木原)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成2年3月31日大野町指定)

   宮成吉郎右衛門墓碑

宮成

所在地:千歳町新殿55-3
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和53年10月12日千歳村指定)

  参勤交代道路(蒲鉾石付)

参勤交代道路

明暦2年(1656)犬飼港が開港し、岡藩主の参勤交代のため整備が進められた街道と考えられる。上ワ町の井手道には高さ及び幅30cm、長さ1mの蒲鉾石が40m程ならんでいる。

所在地:犬飼町下津尾上ワ町
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和49年7月1日犬飼町指定)

   犬飼港(火の道・波乗り地蔵)

波乗り地蔵

明暦2年(1656)河川港として開港して、以後岡藩の主要交通路として繁栄した。現在川岸に残る石畳の一部は当時のままである。その下流側に藩主の乗船場があったとみられ、火の道と呼ばれる道は火を焚いて石を掘り割って造られたという。その先にある波乗り地蔵は岸壁に線刻で掘られた地蔵菩薩像で、航海の安全を祈って彫られたと伝えられている。

所在地:犬飼町下津尾
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和57年6月1日犬飼町指定)

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