公開日 2015年2月22日
最終更新日 2021年8月1日
無形民俗文化財
棒術
久良知区に江戸時代から伝わる御道流棒術で、「御道流覚目録」によれば、寛政6年(1794)に御道流棒術師範松岡由右衛門惟貞から、久良知の佐藤袈裟治が印可を受けて伝わったことがわかる。この棒術は五方杖、長刀巻杖、闇夜杖など12段131手で構成されており二人一組になって型を行う。代々区の長男によって伝承され、毎年旧暦8月の氏神の祭典に奉納されている。
所在地:三重町内田
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月28日三重町指定)
白熊
下鷲谷区に伝わる白熊で、江戸時代末期には行われているが、明治初期御獄流白熊を取り入れており、現在の形になる。白熊は唄方2名、ひねり手8名で構成するがひねり手は4人宛交互に入れ替わって演技する。舞は起、道中、鳥居下、納の4番で、唄手の拍子木と唄に合わせて、ひねり手と踊り手の囃子と毛頭が優美に舞う。毎年地元の宮山神社の秋祭や佩楯山行者祭の時期に行われている。
所在地:三重町鷲谷
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和52年3月30日三重町指定)
宮流川辺神楽
三重町川辺区に伝わる三輪流神楽で、江戸時代末期に臼杵より伝わったとされる。この川辺区の周辺には、他に上田原俚楽、牟礼神楽など同じ三輪流の神楽座が存在し、百枝地区において神楽が非常に盛んだったことがわかる。昭和40年頃には活動が途絶え消滅の危機があったが、地元有志により保存会が結成され復活、以来、川辺地区の在住者、出身者のみによって受け継がれ、子どもから大人までが参加する、地域あげての神楽座となっている。他に西山古神流の獅子舞も継承されてきており、その保存継承活動は地道かつ熱く続けられている。
所在地:三重町川辺
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和53年3月29日三重町指定)
松尾獅子舞
松尾区城山神社に伝わる西山古神流の獅子舞で、文化4年(1807)に川辺区から伝授を受け、定着したものである。獅子舞の獅子は2頭でそれぞれ2名が入り、その順序は1起し、2鳥居定、3地伏、4中腰、5中笠、6大笠、7初摺り、8後摺り、9卸し、10修めとなっている。はやしは大太鼓・小太鼓・笛・拍子木である。松尾区には獅子舞に関する伝授書をはじめとした巻物が完全に保存されている。
所在地:三重町松尾
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月28日三重町指定)
芦刈獅子舞
芦刈区の芦刈神社に伝わる御獄流の獅子舞である。口伝によれば江戸時代から伝えられたというが、明治28年に大野町片島の上津神社より巻物の伝授を受け、正式に御獄流として現在まで伝承されてきた。獅子舞は一頭に3名(舞獅子1名・後獅子2名)が入り、六頭立てで舞う。その前で小学生男子12名が花団扇を持ち口取りを舞う。獅子の中央部に獅子組頭が拍子木を打ち統率する。拍子木は大太鼓・小太鼓・竹笛を使用する。舞方は鳥居舞・興迎舞、他に天のしめ・五方舞がある。
所在地:三重町芦刈
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和53年3月29日三重町指定)
芦刈団七踊
芦刈区に江戸時代後期頃か伝えられており、その起源は不明であるが、優雅な中に雄々しさを秘めた盆踊りである。男子1名と女子2名が一組になっていずれも刀を模した竹棒を一組ずつ持ち、それを打合せながら輪になって踊る。服装は男子は白の上衣に袴・白の鉢巻、女子は紫の上衣・白鉢巻・赤のたすき・水色の手甲・赤の腰巻・うこんの帯で、男女とも草履を履いている。踊りはくどきによって踊り、拍子は大太鼓でとる。
所在地:三重町芦刈
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和53年3月29日三重町指定)
川辺獅子舞
川辺区に伝わる西山古神流獅子舞があり、伝播については明確でないが、口伝によれば約400年前五穀豊穣・悪病退散・子孫繁栄の祈りを込めて導入したと伝えられている。記録により百枝や松尾等町内各所の西山古神流獅子舞伝播の起点にもなっている。毎年一宮天満宮の祭典に奉納しており、舞は舞は獅子起、鳥居舞、地吹舞、中腰舞、耳摺の舞、笠の舞、笠の摺舞、舞納、その他五方舞もある。獅子頭は2頭4人立で、中間に口取がつく。衣装は舞子が法被に袴下、黒足袋にわらじ、指導者は紋付に袴、拍子木を持つ。拍子は大太鼓・小太鼓・笛である。
所在地:三重町川辺
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和58年3月30日三重町指定)
内田獅子舞
内田区の宇知田神社に伝わる西山古神流の獅子舞である。口伝によれば明治初期に松尾より伝授されている。地元では五穀豊穣・悪病退散・子孫繁栄の祈りを込め、毎年正月や区の祭典に奉納している。舞は獅子起、鳥居舞、地吹舞、中腰舞、耳摺の舞、笠の舞、笠の摺舞、舞納、その他五方舞もある。獅子頭は2頭で、それぞれ2名ずつ付き、中間に口取りがつく。衣装は舞子が法被に袴下、黒足袋にわらじ、指導者は紋付に袴、拍子木を持つ。拍子は大太鼓・小太鼓・笛である。
所在地:三重町内田
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和59年10月1日三重町指定)
入北獅子舞
入北区向原神社に伝わる御獄流の獅子舞である。天保6年(1835)菅生庄司より伝授され、区の秋祭り等に毎年奉納されている。舞は起し、地伏、柱、七五三、首すり、納めの6番である。獅子頭は2頭で、それぞれ2名ずつ付き、中間に口取りがつく。衣装は舞子が法被に袴下、黒足袋にわらじ、指導者は紋付に袴、拍子木を持つ。拍子は大太鼓・小太鼓・笛である。
所在地:三重町西畑
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成5年4月28日三重町指定)
上田原獅子舞
上田原区御手洗神社に伝わる御嶽流獅子舞である。天保5年(1834)に菅生より伝授され、春と秋の大祭で豊作や区民の繁栄を祈願して舞われている。内容は、春は五法の舞(起し・かせ・舞違え・中央・納め)、秋は御幸として社殿舞(起し・地伏・柱・笠・六調子)と興迎舞(地伏・柱・笠・こすり・六調子)である。舞い方や笛の由来についての巻物が3巻保存されている。
所在地:三重町上田原
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成13年11月27日三重町指定)
白山扇子踊
伝播には諸説あるが、明治初頭の頃には大白谷で始められていたようで、現在は白山地区全体で保存会を結成している。中央に太鼓櫓を組み、その上で太鼓と口説きで音頭を取り、踊り方が1本の扇を頭上で8の字を描くように廻して踊る。踊りは二つ拍子で終る。
所在地:三重町伏野ほか
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成16年3月25日三重町指定)
中野獅子舞
御嶽神社の御幸行列には欠かせない芸能。御嶽流獅子舞を受け継ぐ団体。寛政11年(1799)御嶽神社神職より獅子舞の技を伝授されたことから創始され、左右知獅子舞とともにいわゆる元祖御嶽流獅子舞の双璧として存在、中野系獅子舞の起源となる。御嶽神社氏子の中でも中野地区の住民によって受け継がれてきており、現在保存会の会員数は15名。元祖御嶽流の獅子舞としてその保存継承に励んでいる。
所在地:清川町伏野(中野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
左右知獅子舞
御嶽神社の御幸行列には欠かせない芸能。御嶽流獅子舞を受け継ぐ団体。天明8年(1788)御嶽神社神職より獅子舞の技を伝授されたことから創始され、中野獅子舞とともに、いわゆる元祖御嶽流獅子舞の双璧として存在、左右知系獅子舞の起源となる。御嶽神社氏子の中でも左右知地区の住民が中心となって受け継がれ、現在保存会の会員数は30名。近年では、地区外からの参加も受け付けており開かれた活動を行っている。
所在地:清川町左右知
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
宮迫獅子舞
御嶽神社の御幸行列には欠かせない芸能。御嶽流獅子舞を受け継ぐ団体。同じく氏子である中野獅子舞より伝授されたことにより創始されたといわれ、宮迫地区の人々によって受け継がれる二頭の練り獅子で勇壮活発である。御嶽流獅子舞の発祥地としての誇りに燃え、また御幸行列を支える供役としてその重責を果たしてきており、いまも地元あげての保存継承活動に取り組んでいる。
所在地:清川町宇田枝(宮迫)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
泉獅子舞
清川町六種区、泉に伝わる大行事八幡流の獅子舞。泉地区はもともと、合川村として隣の馬背畑区にある御霊社の氏子で、一つの獅子舞団体であった。しかし、昭和の町村合併によって所属行政区が変わったため、二つに分裂し今の健男社氏子として、大行事八幡流の獅子舞を受け継いできた。二つの獅子頭を練る姿は魅力的である。
所在地:清川町六種(泉)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
宮津留獅子舞
清川町六種区、宮津留に伝わる御嶽流の獅子舞。健男社の御幸行列を先導する獅子舞として宮津留の氏子達受け継がれている。この六種健男社には、他に大行事八幡流の泉獅子舞や石原白熊、小原白熊という芸能も御幸祭で奉納されるため、健男社の大祭では一度で多くの芸能を見ることができる。
所在地:清川町六種(宮津留)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
臼尾獅子舞
清川町臼尾区に伝わる御嶽流の獅子舞。
所在地:清川町臼尾
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
雨堤獅子舞
清川町雨堤区に伝わる御嶽流の獅子舞。雨堤にある日吉社付きの獅子舞として氏子によって守られているが、秋には砂田区の琴平社の祭典と連合祭を行い、砂田白熊とともに賑やかに奉納されている。
所在地:清川町雨堤
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
宇田枝白熊
御嶽流といわれるこの白熊は、紋付羽織にすげ笠をかぶった歌い手3名と、袖をだんだらに染めた法被に角帯を締めて流し、手甲、脚絆の姿の練り子4名で構成される。清川町宇田枝地区の御嶽神社氏子衆によって伝承されており、秋季大祭の御幸行列の際に御神輿の先導役として欠かせない芸能である。その際には、御嶽山頂から下ってきたご神体が、一時休息に入っている御憩場「耳取り」から「御仮屋」まで、行列のお供として参加し獅子舞についで「御浜出」する。神輿を先導し、颯爽と白熊を操る白熊行列の姿は、とても誇らしく華やかである。
所在地:清川町宇田枝
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
津留白熊
宇田枝白熊と同様、御嶽流といわれるこの白熊は、紋付羽織にすげ笠をかぶった歌い手と、袖をだんだらに染めた法被に角帯を締めて流し、手甲、脚絆の姿の練り子で構成される。清川町宇田枝津留地区の御嶽神社氏子衆によって伝承されており、秋季大祭の御幸行列の際に御神輿の先導役として欠かせない芸能である。
所在地:清川町宇田枝津留
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
轟白熊
轟白熊も、御嶽神社の氏子によって守られてきた芸能で長く御嶽神社大祭で奉納されていたが、近年では活動を休止しており、大祭では幟旗が登場するのみとなっている。
所在地:清川町左右知(轟)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
石原白熊
清川町六種石原地区伝わる御嶽流の白熊。現在では、1組2本の白熊が立ち、神社御幸行列に欠かせない白熊である。
所在地:清川町六種(石原)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
小原白熊
清川町六種小原地区伝わる御嶽流の白熊。現在では、1組2本の白熊が立ち、神社御幸行列に欠かせない白熊である。
所在地:清川町六種(小原)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
砂田白熊
清川町砂田区に伝わる白熊。小白熊、大白熊と呼ばれる2組、合計4本の白熊を揃えることができる貴重な団体である。菅笠、羽織袴姿の歌い手が先に立ち、拍子木で調子をとりうたいながら進み、後ろで白熊をひねる捻り手が追い、鳥居では鳥居越しと呼ばれる見せ場をつくりながら進む。
所在地:清川町砂田
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
平石白熊
清川町平石区に伝わる白熊。平石神明社、御幸行列の先導として欠かせない芸能である。
所在地:清川町平石
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)
伏野盆踊り
伏野地区に伝わる盆踊りで、盆に迎えた祖霊をなぐさめ、送ることのほか、たたりのある精霊を追いやったり、共同娯楽や豊作祈願なども込められている。
所在地:清川町伏野
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成11年6月1日清川村指定)
長小野獅子舞
清川町平石区に伝わる獅子舞。平石神明社、御幸行列の先導として欠かせない芸能である。
所在地:清川町平石(長小野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)