公開日 2015年2月22日
最終更新日 2024年10月15日
有形民俗文化財
町石
鬼塚区の国道326号線沿いの年神社境内にある。総高85cmの凝灰岩製四角柱で、上部に梵字、下に「十一丁 文化二年」と刻まれており、文化2年(1805)の造立であることが分かる。同様のものが他にもあったが、現在はこの町石だけしか現存しない。町石は内山観音の参道に一丁(町)毎に建てられたもので、内山観音まであと何丁かを示す道標である。起点は市場付近と考えられ、最終は内山観音の一丁手前であったと推定されている。〔※一丁(町)は江戸時代の距離の単位で、60間・110m弱〕
所在地:三重町秋葉(年ノ神)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和38年3月30日三重町指定)
細長繁栄記
深野区の旧国道細長橋の北側山林内に所在する石碑で、付近は明治頃に細長港が所在している。総高1.61mの凝灰岩製で、竹内節三の文、田口母山の筆で明治11年に建立されている。表は「細長は三重郷一万石と野津八千石の上納米を細長から船に積んで戸次の家島まで運んでいた。廃藩置県になって村民が許可を得て川ざらえをし沈堕の滝の下まで船を通すようになって細長は大変繁盛し、多くの商店ができて町をなした。」と書かれている。背面には通船の苦労と船頭株の氏名等があり、明治初期の交通の状態を知る貴重な資料である。
所在地:三重町宮野(細長)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和46年7月31日三重町指定)
釘守堤文書
上赤嶺一区の区長に代々伝わる古文書で、縦22.5cm、横34.5cmの和紙に書かれている。釘守堤は下玉田区釘守にある堤で、この堤の維持管理に関する両村の取決めを証文として取り交わした旨が書かれている。例えば「宝永2年(1705)に玉田・上赤嶺両村が合議して藩に申請して堤を造成したこと。水路はお互いに出会って修理をすること。堤の栓抜きは相方で相談すること。水不足のときは一日一夜を交代で水を取ること。このとき相手方は一切手出しをしないこと。」等とあり、当時の農村の事情がわかる貴重な資料である。
所在地:三重町赤嶺
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月28日三重町指定)
肝煎金番帳
肝煎一区の区長に代々伝えられているこの金番帳は、宝永4年(1707)正月より始められている区の金番(会計)を記録したもので、現在も続いて使用している。表紙とも25枚、縦38cm、横12.5cm、和とじのものである。初めの10年間は一年に1人の当番であったが、その後は2人になっている。また、享保8年(1723)から天保11年(1840)までは米番の制度もでき、毎年一人がこれにあたっている。享保17年(1732)の記録では虫害の被害が大きかった事がうかがえ、村役人・人口・世帯数の動きなどを知ることができる貴重な資料である。
所在地:三重町秋葉
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和54年3月27日三重町指定)
衛藤家キリシタン厨子
中津留区の衛藤家の「荒神さま」の厨子に「かくし十字架」が付けられている。厨子は木製で高さ31cm、奥行き11.5cmの社殿づくりで、その上部中央に縦10cm、横6cmの十字架が取り付けられている。制作年代は不明だが、約200年前のものと推定されている。安置している場所が十字架の見えない位置で、煙の通るところであるために今まで保存されたものと思われる。かくれキリシタンの資料として県下でも例を見ないものである。なお、衛藤家にはキリシタン墓も残っている。
所在地:三重町中津留(妙見)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和55年3月28日三重町指定)
松尾獅子舞巻物
西山古神流松尾獅子舞の伝書で、弘化2年(1845)8月に川辺村より伝授された。松尾村の甚五郎が書き写したもので、図解も添えられ詳細に記録しており、同流獅子舞伝書のうちで最も完全な巻物である。現在に到るまでの世話人名や、その年毎の重要な記事が完全に保存されている。
所在地:三重町松尾
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(平成16年3月25日三重町指定)
田良原石碑
保全寺山入口に建てられている石碑で、享和2(1802)年、公的施設の建築材料とするため、岡藩所有林の保護を目的として造立されたものである。
所在地:緒方町小宛
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)
神面
大行事八幡社に納められている木造の面で、裏に「大化元」と墨書があるため大化面と呼ばれている。
所在地:緒方町大化
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)
よろい
所在地:緒方町柚木
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)
原の石風呂
原尻区の市道脇の水路に面して所在する石風呂で、上が浴室下が火室の二段式構造である。明治30年頃に水路完成の直後に造られたといわれている。
所在地:緒方町原尻
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)
犬塚石風呂
地名から別名を風呂ノ元石風呂ともいう。現在は土砂に埋まっており、内部の構造が判断しづらくなっている。
所在地:緒方町大化
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)
麻生石風呂
直径1m程の竪穴が開いており、内部は6畳ほどの広さである。横穴の入口や焚口は塞がっている。
所在地:緒方町軸丸字小迫
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)
野仲石風呂
野仲区の市道脇に所在する石風呂で、上が浴室下が火室の二段式構造である。明治末頃に造られたといわれている。
所在地:緒方町鮒川
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)
下自在石風呂
宅地敷地奥の崖面にあり、浴室と火室を床で分けた2階式になっていたと思われるが、損壊している。明治15年頃まで使用していたという。
所在地:緒方町下自在
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)
徳尾石風呂
地元では古くからカラ風呂と称していた。以前はこの地域は水が少なく人々は石風呂を利用していたという。本来入口に石段などがあったらしいが道路工事で損失し、道路から高い位置にある。内部床面には熱を行き渡らせるための溝が残っているが、焚口は埋没している。付近に風呂前・風呂脇という地名が残っている。
所在地:緒方町平石
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)
古園の石風呂
瀬口区の崖に造られた石風呂と推定されるもので、入口は損壊しているが、上が浴室下が火室の二段式構造である。
所在地:朝地町池田(古園)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和59年3月31日朝地町指定)
慈康庵供養塔
大迫区尾の平に所在する供養塔で、南北朝期の康安元年(1361)に玄一禅門の現世安穏と後生善処を祈願して建立されたものである。
所在地:千歳町長峰(尾の平)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和46年10月31日千歳村指定)
茶屋の辻庚申塔
江戸時代前期の万治4年(1661)の庚申塔で、庚申の夜は心身を清浄にして恭敬することなどが銘文中に確認できる。
所在地:千歳町長峰(野尻)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和46年10月31日千歳村指定)