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市指定有形文化財《美術工芸品》

公開日 2015年2月22日

最終更新日 2021年8月1日

有形文化財 (絵画)

    絹本彩色菅原道真像

菅原道真像

又井区個人宅に古くから所蔵される絵画で、菅原道真像と伝承されている。掛軸の長さ148cm、絵絹の縦71cm、幅25cmである。顔面は胡紛で彩色され、その上に眼・鼻・口・毛髪等を細線で描いている。束帯は緑青・群青・朱・金泥などの顔料で華麗な彩色が施されている。作者は不明であるが江戸時代初期頃の土佐派の流れを汲む絵師によるものと推定されている。一月の祭りのみ飾られるという。

所在地:三重町井迫
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和54年3月27日三重町指定)

   正龍寺方便法身尊像

正龍寺方便法身尊像

市場区正龍寺に保存されている仏画で、表に阿弥陀如来像があり、裏には墨書による銘文がある。それによると、室町時代の永正4年(1507)に京都の本願寺より下賜されたことがわかり、また市場名が「市庭」と表記されているなど、町内の歴史資料としても貴重な資料である。

所在地:三重町市場1721
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(平成14年2月28日三重町指定)

長古絵図

御嶽神社の神主である加藤長古(1739-1814)は現在の御嶽神楽の創始者として知られている。弘化2(1845)年、彼の没後32年忌の御霊祭の際、門弟たちの子孫が長古の業績を称えて作られた肖像画である。

所在地:清川町宇田枝
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成13年1月30日清川村指定)

   岡藩絵図

岡藩絵図

所在地:緒方町鮒川
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   五月のぼり

五月のぼり

龍が描かれた二旈の幟で、小宛焼の陶工大神甚五平が明治5年(1872)に描いたものである。力強く大胆な構図は、甚五平の筆致を知る貴重な作品である。

所在地:緒方町柚木
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   犬飼港図

旧犬飼公民館に保存されていた絵図で、犬飼港・町並み周辺が描かれている。国宗雲峰(本名嘉龍)の作といわれ、年代は江戸犬飼港図時代末期頃と推定されている。近世犬飼港の様子がわかる資料としても貴重である。

所在地:三重町内田(資料館)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成12年8月24日犬飼町指定)

有形文化財 (彫刻)

    木造駒犬

市辺田社狛犬

市辺田八幡社の神殿に安置されている。全長88cm,高さ72cm、胴回り74cmで、樟材の寄木造りで彩色はほとんど剥落している。両方とも前足を立て、後ろ足を曲げて座っている。大きく口を開く阿形像は、鼻の部分と左前足・後両足を欠き、口を閉じている吽形像は左後足を欠くいずれも大きな目を開き、頭毛は渦を巻き、胴体は引き締まっており精悍さが感じられる。制作については記録はないが、鎌倉時代の作と推定される。

所在地:三重町赤嶺(宮畑)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和38年7月30日三重町指定)

    蓮城寺千手観音像

蓮城寺千手観音

蓮城寺の本尊として本堂大悲閣正面現像仏の後の厨子に安置されており、内山観音の名称の由来ともなっている。総高96cm,寄木造りで金箔をおき、玉眼を入れた像で、11個の頭上面を戴き、合掌手、宝鉢手の中央手のほか脇手に左右各19臂をつけ計42臂の多臂像である。その形式は、千手観音像としては最も通形のものである。頭上面および脇手とその持物のいくつかが後補とみられるほかは、ほぼ造立当初のままと思われ、鎌倉時代後期の慶派仏師の作と考えられる。17年に一回の開帳で公開されている。

所在地:三重町内山(櫻将)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年3月 日三重町指定)

  木造阿弥陀如来像

正龍寺阿弥陀如来

市場四区の正龍寺に本尊として安置されている。総高90cm、黒ずんだ仏体は壮重さがみなぎっている。面相はやや硬い感じであるが、写実的な技法は重厚さがあり、木目も美しく表れている。螺髪は突起でなく線彫りで円形を描いており、白毫は欠けている。胴体は江戸時代の後補であるため全体的に丈が低く不均衡であるが鎌倉時代の作と推定される。寺では行基の作と伝えている。

所在地:三重町市場
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年3月 日三重町指定)

    金剛力士像

蓮城寺金剛力士

蓮城寺薬師堂の前両側に向かい合う位置に安置されている。桧材の寄木造りで、内部は空洞となっている。特に四肢が力強く表現されている。制作に関する記録はないが、像容や彫刻の作風から判断して江戸時代初期頃の作と推定される。向かって右側は阿形像で総高238cm、左は吽形像で総高234cmで左眼は修理している。

所在地:三重町内山(櫻将)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和51年3月30日三重町指定)

  木造金剛力士像

吉祥寺金剛力士

吉祥寺に安置されており、阿形・吽形像の2体で、頭部のみ残存する。桧材の寄木造りで、総高は阿形像が84.0cm、吽形像が89.0cm、現存部の寸法から判断して当初は2.5~3.5mの巨像であったと考えられる。元々旧広福寺(現吉祥寺)の山門に安置されていたが、天正15年(1587)年に島津氏による兵火で頭部以外を焼失したと伝えられる。炭化・虫食いが甚だしいが、作風より鎌倉時代の作品と推定されている。

所在地:三重町松尾(大門瀬)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和61年8月8日三重町指定)

   中津無礼聖観音立像

中津無礼聖観音

中津無礼区の観音堂にあり、本尊として安置されている。像高153.5cmの等身像で、樟材とみられる広葉樹材による一木造である。背面背中上部から裾先にかけて幅11.0cmほどの開口部を設けて内刳を施し背板を嵌める。両肩から外側の腕材、右肘から垂下する天衣および両足先・宝冠・胸飾など後補の部分が多い。また、全身に和紙を貼り金彩を施した現彩色も後補である。像全体の形姿や服制は、平安後期から鎌倉時代にかけての菩薩立像の形式を踏襲しているが、全体的に省略的な表現が目立つ。一木彫で背刳りを施すなど古い技法も残しており、室町時代後半頃の在地仏師による模古作とみられる。

所在地:三重町伏野(中津無礼)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成5年4月28日三重町指定)

   大無礼延命地蔵菩薩坐像

大無礼延命地蔵

大無礼区の小堂に安置されており、延命地蔵として古くから地元の信仰を集めている。像高27cm、丁寧な内刳りが施され桧材の寄木造りである。宝珠・彩色等は後補である。南北朝~室町時代頃の中央仏師の作と推定される。

所在地:三重町伏野(大無礼)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成5年4月28日三重町指定)

    吉祥寺観音立像

吉祥寺聖観音

松尾区の吉祥寺薬師堂に安置されている。像高は28.0cmの一木造りの小像で、後背・宝冠等は後補である。由緒等は伝えられてないが、平安時代の作風を残しており、在地仏師の作と推定されている。

所在地:三重町松尾(大門瀬)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成7年11月28日三重町指定)

    十一面観音坐像

宝生寺十一面観音

宝生寺に安置されている木造十一面観音坐像で、像高91.3cm、桧材寄木造りである。胎内銘により寛文3年(1663)に加藤清左衛門を施主として再興されたものであるが、頭部はそれ以前の像を転用したとみられている。

所在地:清川町宇田枝
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(平成7年10月1日清川村指定)

    聖観世音菩薩像

天徳寺観音堂に安置されている聖観音菩薩立像で、像高140cm、鎌倉末期から南北朝時代の作と考えられている。旧保全寺より明治初期に移されたと伝えられ、現在秘仏として17年毎に開帳している。

所在地:緒方町小宛
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    木下磨崖仏

木下磨崖仏

十時区の木下観音堂境内の崖面に所在する磨崖仏である。長さ6.5m、高さ1.05mの仏龕部に像高約75cmの10体の仏像を彫りこまれている。

所在地:大野町十時
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成2年3月31日大野町指定)

    大聖寺聖観音像

大聖寺聖観音

大聖寺に安置されている聖観音菩薩坐像で、像高は43cmである。室町時代の作と推定されている。

所在地:犬飼町柴北
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(平成6年2月21日犬飼町指定)

    大聖寺達磨像

大聖寺達磨像

大聖寺に安置されている木造達磨像で、像高は63.5cmである。室町時代の作風を取り入れた江戸時代前期の作と推定されている。

所在地:犬飼町柴北
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成6年2月21日犬飼町指定)

   大聖寺弁財尊天像

大聖寺弁財天

大聖寺に安置されている弁財尊天像で、像高は37cmである。江戸時代の作と推定されている。

所在地:犬飼町柴北
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成6年2月21日犬飼町指定)

有形文化財 (工芸品)

    三猿

三猿

内山区の蓮城寺裏山に「山王さま」と呼ばれる有智山神社があり、その本殿の御神体の前に眷属として安置されている。いずれも樟材の一木造りで彩色の剥落が著しいが、完全に保存されている。右の不見猿は雄で総高34cm、中央の不聞猿は雌で総高31cm、左の不言猿は雄で総高30cm。台座背面に銘文があり、淡州(兵庫県淡路島)の仏師秦兼利の作である事が分かる。時期は江戸時代中期頃と推定される。

所在地:三重町内山
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和38年3月30日三重町指定)

    蒔絵文箱

松尾区の吉祥寺に尾形光琳作と伝えられている蒔絵の文箱がある。この文箱は縦42cm、横32.7cm、高さ13.8cmとかなり大きい。茶褐色の地に金粉をちりばめ、蓋の表には牡丹の図が金粉や螺鈿で装飾され、その裏側には同じ手法で蝶が舞っている図があり、左下に光琳の銘がある。また、この文箱のほかに硯箱がある。縦24.4cm、横22cm、高さ4cmの大きさで文箱と同じ図柄が描かれている。硯箱の中は五つの枠で区切られ中央に硯がおいてある。光琳は江戸時代初期の装飾画の大家で、蒔絵にも多くの作品を残している。

所在地:三重町松尾(大門瀬)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和38年3月30日三重町指定)

   脇差(豊行)

市場六区の赤嶺家に所蔵されており、長さ54.4cm、反り1cm、目釘穴1箇所の脇差である。銘文により、中尾区中尾区甲斐本鍛冶ゆかりの刀工藤原豊行(豊州高田住)の作で江戸時代初期の作品と推定されている。豊行は高田鍛冶(大分市)3代統行の子で、養子として甲斐本鍛冶5代豊行となっている。

所在地:三重町市場
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月28日三重町指定)

   刀(行長)

長さ70.2cm、重さは kgである。銘文により江戸時代初期の慶長12年(1606)2月、甲斐本鍛冶の藤原行長の作であることが分かる。甲斐(賀井)本鍛冶は三重町中尾に居住し、中世から江戸時代にかけて続く刀鍛冶で、行長は3代存在するが、そのうち2代目の行長と推定される。

所在地:三重町市場
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和59年10月1日三重町指定)

   

刀 行家

長さ66.7cm、重さ700gの刀で、三重町中尾の地に居住した甲斐本鍛冶の藤原行家の作である。銘文は「豊州大野住甲斐本藤原行家 八月日」で、江戸時代初期の慶長頃の作と推定される。行家は藤原行久の子で、行長の弟といわれている。

所在地:三重町市場
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(平成14年2月28日三重町指定)

   火縄銃

所在地:緒方町馬場
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   印籠

印籠

軸丸区の高野家所蔵の江戸時代の印籠で、高さ7cm、幅5cm、厚さ1.8cm。漆塗りで螺鈿と高蒔絵による細工があり、「武刕住梶川作」という銘がある。

所在地:緒方町軸丸
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    小宛焼

小宛焼は文化年間に長崎の亀山焼の陶工を招いて始まったとされ、岡藩の御用窯として磁器や陶器を生産している。明治7年までの短い期間のため、現存する作品は少ないが、青みがかった灰白色の磁器に山水文様の染付皿などが知られている。

所在地:緒方町小宛ほか
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   上津神社金幣

上津金幣

上津神社に奉納されている金幣で、全長は109cm。銘文により永禄9年(1566)に戸次道雪(鑑連)が寄進したものである。

所在地:大野町片島
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和52年4月1日大野町指定)

有形文化財 (典籍・古文書)

     内山記

内山記

市立図書館に所蔵されており、全3巻で構成される典籍である。三重町ゆかりの伝説である真名野長者物語の最も古い完成書写本で、物語成立の資料として貴重である。奥書により江戸時代中期の享保10年(1725)、桑嶋教順によって書かれたと推定される。

所在地:三重町内田
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(平成9年2月28日三重町指定)

   衛藤家文書

衛藤家文書

中津留区の衛藤家に多くの古文書が残されている。衛藤家は大友家の家臣として古くから白山地区を知行していた家であるが、特に大友宗麟の時代に勲功があり、その時拝領した知行預け状一通は花押も正しく、歴史資料として価値の高いものである。文書は縦29.4cm、横45.7cmの和紙で室町時代のものと推定される。なお、衛藤家にはこの他にも大友政親知行預状、岡藩中川氏との関係書類など多くの古文書が所蔵されている。

所在地:三重町中津留(妙見)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和50年3月28日三重町指定)

   臼杵藩三重郷灰立山御救山文書

灰立山御救山文書

嘉永五年(1852)臼杵藩より三重郷宛てに、灰立(佩楯)山の山林を三重郷住民へ維持管理の命令と非常救済のため売却を許可する旨が書かれている。江戸時代臼杵藩の林政及び福祉政策がわかる貴重な資料である。

所在地:三重町内田(資料館)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(平成14年2月28日三重町指定)

     加藤家古文書

加藤家に所蔵されている古文書で、大友宗麟状や系図など多くの古文書がある。戦国期の大友氏の家臣として宇田枝名に領地を給付されたことを表す古文書である。

所在地:清川町左右知
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和54年10月1日清川村指定)

    三代文書

大友宗麟の感状、義鑑の書状など計32通の古文書が所蔵されている。中世大友氏の活動を知ることができる貴重な史料である。

所在地:緒方町久土知
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    首藤文書

室町時代から安土桃山時代の文書が21通あり、大友氏の領国支配を知る上で貴重な史料である。

所在地:緒方町寺原
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    田北文書

室町時代の文書8通があり、緒方荘と大名大友氏の関わり、義鑑以降の大友氏あるいは宇佐神宮との関係を知る上で重要な史料である。

所在地:緒方町寺原
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   工藤文書

所在地:緒方町上畑
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    合沢文書

室町時代から安土桃山時代の文書が3通ある。

所在地:緒方町上自在
指定年月 : 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   佐藤文書

安土桃山時代の大友義統文書がある。

所在地:緒方町上自在
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    波多野文書

安土桃山時代の大友義鎮文書がある。

所在地:緒方町大化
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

    高野文書

近世軸丸組大庄屋であった高野家には200点余りの古文書を所蔵している。中でも類族宗門改の文書はキリスト教禁制に関する貴重な資料である。他に明治初期の大野川流域開発関連の史料も重要である。

所在地:緒方町軸丸
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

   西文書

所在地:緒方町馬場
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和47年6月29日緒方町指定)

有形文化財 (考古資料)

上田原石棺1号

上田原石棺

上田原区の中原集落内にあり、昭和47年に崖崩れにより現在地に移された。全長2mの舟形石棺で凝灰岩を刳りぬいてつくられている。棺身の側辺2箇所ずつに縄掛突起があり、内部の底には水抜孔がある。棺蓋の端にも突起がある。内部からは鉄刀2本と人骨(男性3体・女性1体)が出土したと伝えられている。古墳時代中期の5世紀後半頃のものと推定され、周辺からいくつもの石棺が確認されていることから、小古墳群が所在したものと思われる。

所在地:三重町上田原(原)
指定年月日: 平成17年3月31日市指定(昭和52年3月30日三重町指定)

  潰平4号石棺

潰平塚原石棺

昭和47年に下小坂区字潰平(通称塚原)にて出土したもので、現在は同区愛宕神社前に安置されている。舟形石棺の棺身で、蓋石は現存しない。長さ216cm、幅85cmの凝灰岩製で、内部中央に孔がある。両端の2箇所に縄掛突起がある。遺物はわずかで時期は特定されていないが、形状から5世紀中頃から後半頃と推定されている。潰平石棺群は4基の石棺が確認されており、この付近に存在した豪族の墳墓と考えられる。

所在地:三重町小坂(楠牟礼)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成13年2月28日三重町指定)

  丸山古墳石棺蓋

丸山石棺

上尾塚の南部幹線道沿いに立掛けられており、通称銭蓋石と呼ばれている。凝灰岩製の石棺蓋で、外側は屋根型の形態で内側は朱の痕跡がある。棺身は所在しないが、100mほど離れた丸山古墳からの出土と伝えられており、5世紀後半頃の年代が推定される。明治期に丸山長者伝説と関連した銘文が刻まれている。

所在地:朝地町上尾塚(野中)
指定年月日 : 平成17年3月31日市指定(平成元年3月14日朝地町指定)

  「六箱横穴墓出土品 轡等」附「出土記録資料 古記録等」

六箱横穴出土品

原尻区の六箱に所在した横穴墓の出土鉄製品(轡2組、直刀1振、鏃7本、刀子4本)と関連資料として古文書の「後藤伊賀守碑銘始末」、記念碑の後藤伊賀守貞宗碑1基、その拓本1巻も含む。六箱横穴墓については古墳時代後期の墳墓と思われ、特に轡の保存状況は良好である。天保2年(1831)に偶然発見され、岡藩に届出た後に所蔵が認められた出土品、およびその経緯を記した関連資料である。当時の文化財保護・保存に係る先駆例として評価されている。

所在地:緒方町原尻196、241番地
指定年月日: 平成22年1月27日市指定

有形文化財 (歴史資料)

  吉祥寺略縁記

吉祥寺略縁起

松尾区吉祥寺に保存されている木版で、縦26.7cm、横40.8cm、厚さ2.5cmである。この吉祥寺はもと松尾山広福寺と呼ばれており、その縁起を残すために慶長16年(1611)にこの略縁起が彫られたものと思われる。木版の縁起は県下最古のもので、文意は、広福寺の起源は、空海が入唐し帰朝のおり道場として建立したこと、不動明王、大威徳明王は日羅上人が刻んで安置したこと、天正期の戦乱で薩軍の兵火により寺が焼失し吉祥寺を立てたこと等である。

所在地:三重町松尾(大門瀬)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和38年7月30日三重町指定)

  高寺村絵図

縦102cm、横77.5cmで、「大野郡第五大区七小区 高寺村絵図」と書かれており、明治6~7年頃の製作と推定されている。明治以来高寺区区長箱に保管されており、現在は表装仕立てにしている。中尾の甲斐本鍛冶に関係すると思われる「タタラ」・「イモジ」という地名、及び下赤嶺市辺田八幡社の御神体が御休息したという「高寺村本峠」という地名が記されている。江戸時代岡藩高寺村の村落構造が判明する絵図で、資料的文化財として貴重である。

所在地:三重町本城(高寺)
指定年月日 : 平成17年3月31日市指定(平成10年3月27日三重町指定)

   深山八幡社鳥居額

深山鳥居

深山八幡社正面にあり、安山岩製の鳥居で、応永20年(1413)の銘がある額が貫と島木に嵌め込まれている。一万田氏の造立と伝えられている。

所在地:朝地町市万田(和田)
所在地:平成17年3月31日市指定(昭和61年2月22日朝地町指定)

  十字架首飾り

十字架首飾

銅製の十字架で長軸4cm、短軸2.5cm、個人宅の仏壇上部に隠されていたもので、近世期に伝わったと思われる。

所在地:朝地町市万田(町)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和59年11月20日朝地町指定)

  棟札

所在地:千歳町柴山5817(宮田)
指定年月日 :平成17年3月31日市指定(昭和48年6月5日千歳村指定)

  棟札

所在地:千歳町柴山5817(宮田)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和48年6月5日千歳村指定)

お問い合わせ

社会教育課 文化財係
電話:0974-24-0040
FAX:0974-24-0041