公開日 2015年2月22日
最終更新日 2022年11月28日
有形文化財(建造物) 《三重町》
輪蔵
蓮城寺境内南に、奥行き・間口三間(16.2m)宝形造りの経蔵がある。開基は大法師義空(1782没)であるが、現在の建物はその後の火災により安永年間(18世紀後半)に再建したものである。建物の正面一間は棧唐戸の引分で、東に通風窓があり、外面は下部が板壁、上部は白壁となっている。蔵内にある輪堂は、輪軸の直径約40cmで八角形、その輪軸に八角形の経堂が取り付けられて回転する仕組みになっている。輪堂は二段からなり、第二段に経文を納めてあり、開戸がついている。その中は三段に区切られ、約4000冊の経文を納めてある。経文は岡藩主より贈られたという。
所在地:三重町内山(櫻将)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和38年3月30日三重町指定)
吉祥寺薬師堂
吉祥寺境内にあり、石段を登りつめた位置にある。入母屋造りの銅板葺であるが、これは明治中期の改修によるもので以前は桧皮葺であった。桁間3間半で(6.21m)、梁間3間(5.73m)四方の大きさで、堂の北面を除く3面には3尺(90cm)幅の回廊があり、勾欄がついている。正面の柱間は3間とも横釣戸で、西面は半間・東面は1間の引戸になっており、他は板壁で室町時代の建築様式である。棟札によれば文禄2年(1593)8月8日最初建立とあり、現存の堂は江戸時代後期の再建である。本尊薬師如来像等を安置している。
所在地:三重町松尾(大門瀬)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和38年3月30日三重町指定)
石造宝塔(下赤嶺宝塔)
市辺田八幡社の境内の脇に並んでいる各種石塔類の中に所在する。相輪を欠失し別の宝珠を置いており、相輪を除く総高113cm。基礎の4面に各挟間があり、塔身には金剛界四仏の種子を薬研彫りしている。銘文により南北朝時代の康永4年(1345)の造立であることがわかる。
所在地:三重町赤嶺(宮畑)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和38年7月30日三重町指定)
石造多層塔(下赤嶺多層塔)
市辺田八幡社の境内の脇に並んでいる各種石塔類の中に所在する。銘文には「舎利塔」とあるが、多層塔の軸部にあたるものと思われる。高さ59cm、幅56cmで4面に高さ34cmの仏龕をつくり、東面に阿弥陀如来、南面に釈迦如来、西面に薬師如来、北面に菩薩の四方仏の坐像を半陽刻している。銘文により鎌倉時代の文永11年(1274)の造立で、市内最古の紀年名を持つ石造物である。
所在地:三重町赤嶺(宮畑)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和38年7月30日三重町指定)
円福寺石幢
上田原区の円福寺跡に所在し、総高198cmである。基礎は不明であるが、幢身は平面円形、中台は方形、龕部は八角で、宝珠は後補である。龕部には6面に六地蔵、2面に十王座像を上下に2体ずつを陽刻する。各面の境に銘文があり、室町時代の明応3年(1494)の造立である。
所在地:三重町上田原(立野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和46年7月31日三重町指定)
白泉寺石幢
中津留区白泉寺跡の前にある。総高237cm、幢身・中台・龕部・笠いずれも平面は四角である。龕部は各面とも二区に分け、三面に2体づつ六地蔵を一面に十王像2体を陽刻している。幢身の4面に蓮弁の上に四仏の種子を薬研彫りにしてあり、正面の刻銘により室町時代の永正12年(1515)、大友氏家臣で白山地区を領有していた衛藤氏の一族である藤原家通が、地蔵信仰を領内に広めるため造立したものである。
所在地:三重町中津留(押川)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和46年7月31日三重町指定)
石造宝篋印塔(白谷宝篋印塔)
白谷区の通称寺屋敷にある。総高150cm、隅飾突起は小さく、線刻請花を省略するなどの簡略化が目立つが、全体的に優美な宝篋印塔である。なお相輪下部にも突起があるが、このタイプは県南では緒方町付近に多い特徴といわれている。基礎の銘文により、室町時代の延徳4年(1492)に、衛藤家通が父「勝山高公禅定門」の供養のため造立したものである。
所在地:三重町大白谷(白谷)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和46年7月31日三重町指定)
川辺石幢
川辺区水田内の農道脇にあり、総高は180cm。基礎・幢身・中台・笠いずれも円形で、幢身には墨書銘らしいあとがあるが判読できない。龕部は八角で六地蔵と十王2体を半丸彫りにしている。笠の裏側には極彩色の釈迦と薬師如来像を描いており、元来四方仏を描いていたと思われる。地元では傷の効能があるといわれている。宝珠・笠・中台の破損が著しい。造立は室町時代と推定される。
所在地:三重町川辺(下原)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和48年10月30日三重町指定)
宮山石幢
牟礼区公民館前の山中にあり、総高は230cm、笠は円形で、基礎・幢身・中台は四角である。幢身上部には蓮華と卍を陰刻し、下部の銘文で元亀3年(1572)の造立と分かる。龕部は八角で、六地蔵と十王像2体が各面に一体ずつ半肉彫りされている。笠は内刳があり二重□がつくられている。歯痛のとき年齢の数だけ楊枝を供えて祈願すると効くという信仰が伝えられている。
所在地:三重町百枝(宮山)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和48年10月30日三重町指定)
瀬戸谷宝塔
高屋区入口、道路脇の巨岩の上にある。総高154cm、相輪は欠失し、代わりに五輪塔の空風輪が置かれている。笠は大きく破損しており、塔身には四方仏の種子が薬研彫りしている。基礎は各面に格挟間があり、銘文によって南北朝時代の応安6年(1373)の造立で、南北朝期の動乱から平和を祈念のため菩提道祈願であることが分かる。
所在地:三重町松尾(才田)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和48年10月30日三重町指定)
植松石幢
中尾区の神目寺跡入口の山林にあり、総高205cmの笠塔婆形式の石幢である。基礎・塔身・笠いずれも平面は四角で宝珠の請花を欠損している。塔身の上部に月輪を刻み、中に四仏の種子を薬研彫りしている。各面ともに多数の銘文があり、室町時代末期の永禄13年(1570)に、神目寺石幢と同じ班甫が本願主として造立したことが分かる。
所在地:三重町久田(植松)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和48年10月30日三重町指定)
大楽寺宝塔
中尾区大楽寺跡の石幢より一段高い位置に2基並んでいる。やや小ぶりであるが優美で、整った形の宝塔である。両方とも宝珠を欠損する。刻銘はなく詳細は不明であるが、室町時代(15世紀)頃の造立と考えられる。また、この大楽寺は大友氏4代親時の菩提寺といわれることから、大友親時夫妻の供養塔とも推定されている。
所在地:三重町久田(大楽寺)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和48年10月30日三重町指定)
代多層塔
代区竹脇の奥畑川沿いにある三重塔で、総高250cm。笠は三層で基礎は三重で、層軸部は茶壷形で首部がある。軸部に四方仏の種子を墨書した跡があり、基礎一面にも墨書銘があるが判読はできず、室町時代の造立と推定されている。地元では地蔵様と称し、歯の痛い時に炒った大豆を年齢の数だけと塩を少々供えるとよくなるといわれている。
所在地:三重町奥畑(竹脇)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和48年10月30日三重町指定)
西岸寺石幢
久原区西岸寺境内にあり、総高は135cmで、六角形の幢身と半球形の笠・宝珠からなる単式石幢である。刻銘は磨耗して判読できず年代は不明であるが、素朴で古相な形態から南北朝時代頃の造立と推定される。旧天徳寺跡から移転したと伝えられる。
所在地:三重町久田(津留)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和48年10月30日三重町指定)
妙照院宝篋印塔
下赤嶺中の原区にあり、付近は妙照院(ミョウジョウイン)と呼ばれている。総高148cm、小型で均整のとれた宝篋印塔で、相輪上部の宝珠を欠損する。基礎の一面に銘文があり、永禄10年(1567)の造立とわかる。脇にある小角塔婆にも同日紀年と同一人物名があり、関連が注目される。
所在地:三重町赤嶺(角神)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月28日三重町指定)
浄運寺一石五輪塔
久良知区浄運寺境内の山門脇にあり、一石で作られた小型の五輪塔である。総高70cm、刻銘はなく造立年代は不明であるが、形式からみて南北朝~室町時代と推定される。地元では江戸時代の盗賊である稲葉小僧の墓とも伝えられている。
所在地:三重町内田(塔ノ迫)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月28日三重町指定)
中小坂石幢
中小坂区中道通の墓地内にある。総高202cm、基礎・幢身・中台・笠いずれも平面は円形である。龕部は八角で六地蔵と十王一体、俗人一体を陽刻してある。龕部の各面の境に銘文があり、施主らしい名前があるが紀年銘はなく、室町時代後期の造立と推定される。
所在地:三重町小坂(中道通)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月28日三重町指定)
並石石幢
上鷲谷区より松谷区方面の道路沿いにある。基礎・幢身・中台・笠いずれも平面は円形で、総高は220cmである。龕部は八角で、六地蔵と十王像2体が平丸彫りされている。笠は内刳りがあり、二重□、がある。幢身に銘文があり、室町時代の永正14年(1517)現世安穏を祈願して造立したものである。
所在地:三重町鷲谷(並石)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月28日三重町指定)
脇清水石幢
宮尾区の脇清水の道路脇にある。総高230cmで、笠は円形で龕部以下は四角である。幢身には刻銘らしいものがあるがはっきりしない。中台のまわりには蓮華が刻まれている。龕部は各面を二区に分け、東西には上段に一体下段に二体の十王像、他は各面とも二体の地蔵を刻んでいる。室町時代の造立と推定されており、地元では火伏せの地蔵として信仰されている。
所在地:三重町宮野(脇清水)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月28日三重町指定)
辻宝塔
向野区辻集落の山中にあり、総高は191cm。相輪を欠失し代わりに五輪塔の空風輪を乗せているが、大型の堂々とした宝塔である。基礎は格挟間があり、きわめて精巧な彫刻である。塔身の首部には納経孔があり、四方には金剛界四仏の種子を薬研彫りしている。刻銘はないが、室町時代の造立と推定される。地元では腰より下の病に効能があると信仰されている。
所在地:三重町向野(田ノ内)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和50年3月28日三重町指定)
五重塔
蓮城寺本堂大悲閣と輪蔵の間に2基の五重塔がある。形式よりほぼ同時期に2基造立されたものと推定される。基壇から笠まで平面は四角で、基礎4面に格挟間を刻んでいる。軸部4面には月輪があり、中に四仏の種子を刻んでいる。右側の塔は総高270cm、相輪下部を欠損し、左側の塔は笠一つと相輪を欠失している。刻銘はないが室町時代の作と推定される。
所在地:三重町内山(櫻将)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和51年3月30日三重町指定)
中小坂無縫塔
中小坂区南側の山中、通称「津留の奥」に室町時代後期から江戸時代初期にかけての墓碑群と寺院跡(寺名不詳)がある。この無縫塔はその住職の墓で、総高140cm、全体的に均整のとれた複式の優美な石造品である。基壇は八角、基礎は反花があり八角、塔身は省略化された四方仏を半丸彫りにしてある。中台は上部に反花をもつ八角。塔身は卵形で下部に請花がある。刻銘がないので造立者、年代は不詳であるが、室町時代後期のものと推定される。
所在地:三重町小坂(山の神)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和51年3月30日三重町指定)
慈雲庵石幢2号
羽飛区慈雲庵境内にあり、1号塔と並んで造立している。総高250cmで、龕部は八角で各面に六地蔵と十王2体を陽刻しており、それ以外の各部はいずれも平面は円形で1号塔とは対称的である。全体的に精巧で均整のとれた作りであるが、銘文はなく1号塔とほぼ同時代の室町時代の造立と推定されている。
所在地:三重町秋葉(上羽飛)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和51年3月30日三重町指定)
平野石幢(1号)
羽飛区の鬼塚寄りの秋葉山麓近くにあり、総高278cmの石幢である。全体的に堂々とした風格の石幢である。宝珠は大型で、基礎・幢身・中台・笠は平面は円形である。笠は大きく内刳があり、二重□がある。龕部は八角で各面に六地蔵と十王2体が半肉彫りにしている。幢身には刻銘があるが、風化のため「常泉」の文字以外は判読できない。室町時代の造立と推定される。
所在地:三重町秋葉(平野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和51年3月30日三重町指定)
平野石幢(2号)
羽飛区の鬼塚寄りの秋葉山麓近くにあり、1号塔と並んで造立されている。総高210cmの笠塔婆形式の石幢で、全体的に均整のとれた立派な塔である。宝珠は大型で、基礎・塔身・笠は平面は四角である。刻銘はみられないが、室町時代の造立と推定される。
所在地:三重町秋葉(平野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和51年3月30日三重町指定)
下赤嶺石幢
下赤嶺下区集落裏の地蔵堂跡にある。総高200cmで、基礎・幢身・中台・笠とも円形である。龕部は八角で六地蔵と十王2体を半丸彫りしている。笠は江戸時代に補修されており、宝珠は角型である。幢身の銘文により造立は永正10年(1513)で、石工は小坂の六郎三郎であることがわかる。
所在地:三重町赤嶺(垣内)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和52年3月30日三重町指定)
慈現庵石幢
上小坂区の慈現庵跡にある石幢である。総高は215cmであるが、宝珠は欠失している。基礎・幢身・中台・笠は平面は円形で、龕部は八角で六地蔵と十王像2体を陽刻している。龕部の彫刻と幢身の雄大さが特に注目される。刻銘はなく、室町時代後期の作と推定される。なお。慈現庵はこの石幢の位置よりやや高い位置にあったと伝えられ、永禄9年(1566)銘のある宝篋印塔など各種の石塔類が散在している。
所在地:三重町小坂(小広瀬)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和52年3月30日三重町指定)
森迫石幢
森迫区回春庵跡(現森迫区公民館)敷地内にあり、下の道路脇から移転した。総高185cm、宝珠を欠失している。基礎・塔身・笠は平面は円形で、龕部は八角で六地蔵と十王像二体を薄肉彫している。幢身の銘文により天正6年に日向(宮崎県)耳川で戦死した森迫鎮富の供養のため、その娘が安土桃山時代の天正9年(1581)に造立したものである。
所在地:三重町井迫(回春)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和53年3月30日三重町指定)
大無礼板碑
大無礼区、延命地蔵への登山道に所在する。総高253cmで上部を欠損する。大きな自然石を利用して基礎とし、上部に「南無阿弥陀仏」の名号を薬研彫した板碑である。裏側に銘文があり、室町時代の大永8年(1528)の造立である。このような形式は他に例はなく、一つの信仰の形として貴重である。
所在地:三重町伏野(大無礼小津留)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和54年3月27日三重町指定)
荒谷石幢
代区荒谷にある石幢で、総高は210cm。笠より下は四角で笠には二重□がある。龕部には3面に六地蔵、1面に位牌状のもの2つを陽刻している。全体的に欠損が甚だしく、幢身の銘文も一部を除いて判読できない。室町時代の造立と推定されているが、銘文により造立当時はこの地域は三重郷上村に属していたことがわかる。
所在地:三重町奥畑(小迫)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和54年3月27日三重町指定)
黒木石幢
上田原区御手洗神社の鳥居前の黒木家敷地内にある。総高は220cm、基礎・幢身・中台・笠・龕部共に平面は円形である。笠は内刳りがあり、一重□直径1.33mと巨大である。龕部は六地蔵と十王像2体を陽刻している。室町時代の作と推定されている。昔から歯痛に効能があるといわれ、現在も供物をあげて参詣する人があり、春秋二回に祭りが行われている。戦前には8月24日に盛大な地蔵様踊りが行われていたという。
所在地:三重町上田原(馬場)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和54年3月27日三重町指定)
久部層塔
久部区の道路沿いにあり、現状では総高236cmの層塔である。相輪及び笠もいくつか欠失しているが、規模から当初は五重塔であったと思われる。軸部に金剛界四仏の種子が薬研彫りされている。銘文はなく、南北朝~室町時代の造立と推定されている。現在位置から北西の阿弥陀堂、あるいはマトバと呼ばれる位置から移転されたといわれている。
所在地:三重町大白谷(久部)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和54年3月27日三重町指定)
間所石幢
森迫区間所の旧道沿いに造立しており、総高は現状で231cm。龕部は四角で南・北面は上部に3体の地蔵と下部に2体の十王、東面には上面に1体の大王と下部に2体の十王、西面に上下2対ずつ計4体の十王が厚肉彫りに刻まれており、6地蔵をはじめ計17体もの像が各面に彫られているのは他に例を見ない。笠は円形であるが、基礎・中台・幢身は四角である。銘文は幢身に多くの施主らしい名が確認でき、紀年銘はないが、室町時代の造立と推定されている。
所在地:三重町井迫(間所)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和55年3月28日三重町指定)
地蔵原石幢
田町区の増氏寄りの道路脇の通称地蔵原と呼ばれる丘陵上に造立している。総高171cmで、宝珠の一部を残して欠失する笠塔婆形式の石幢である。塔身に金剛界四仏の種子のほか銘文があり、室町時代後期の永禄9年(1566)の造立である。
所在地:三重町小田(上ノ田)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和58年3月30日三重町指定)
千人塚宝塔
田町区に通称千人塚と呼ばれる塚があり、その頂上に宝塔2基が造立している。両方とも相輪ほか欠損が見られ、総高はそれぞれ114cm、145cmである。銘文はないが、南北朝時代頃のものと推定されている。なお、塚について実体は明確でないが宝塔のほか五輪塔群も存在することから、信仰が続けられた歴史的な所産によると思われる。
所在地:三重町小田(浦久保)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和58年3月30日三重町指定)
平野石幢
中津無礼区の宅地脇にあり、斜面下の水田付近から現在位置に移動したという。総高150cmで、円形の基礎・六角の幢身・円形の笠で構成される単制石幢の形式である。幢身に梵字を墨書しているが、銘文は確認できない。南北朝~室町時代の作と推定されている。
所在地:三重町伏野(平野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和61年8月8日三重町指定)